
弁理士 木本大介
ピクシーダストテクノロジーズ株式会社 知財・法務・広報グループ グループ長
【知的財産をめぐる現状と変化の兆し】
⠀知的財産保護の重要性
⠀現代のデジタル時代において、知的財産保護がどれほど重要であると考えられていますか?
そうですね、「デジタル時代」というのは定義にもよるんですけど、私の中では、いわゆる「コンテンツ」たとえば漫画や映画などの作品に関するものと、一方で「技術」に関するものとで、大きく分かれると思っています。
この二つって、知的財産という観点から見ても全然性質が違います。
まず「コンテンツ」に関しては、知的財産というと著作権が該当します。
ここはインターネットの発展、つまりデジタル化によって普及範囲が広がったことで、広く広がれば広がるほど重要になる領域だと思っています。
実際、著作権の意識って随分前から少しずつ高まっていて、たとえば映画館に行くと「盗撮は禁止ですよ」という映像が本編の前に流れたりしますよね。
私が見る範囲でも、著作権関連のニュースはどんどん増えている印象があります。
重要性がますます高まっているのは間違いないですし、それに伴って啓蒙もある程度は進められているのかな、という感じです。
それに対して、「技術」の面ではまた違った変化が起きていて。
デジタル技術そのものというより、ここ数年で登場した生成AIによって、技術系知財の世界は大きく変わったなと感じています。
技術分野における知的財産の代表は特許だと思います。私自身、特許を専門にしているんですが、特許というのはすごく急いでも、出願から半年以上かかるのが普通です。
しかも、著作権と違って「完成した瞬間に保護が約束される」わけではありません。出願しても必ず保護される保証はないという、不確実な制度でもあります。
一方、生成AIの進化って本当に早くて、日々進歩していますよね。
たとえば、論文1本分くらいの文章でも、今や1分もあれば生成できる時代です。
そんな中で、既存の特許制度による知的財産保護では、このスピード感に時間軸が合わなくなっていくな、と強く感じています。
今はまだ、「生成AIに出してもらったアイデアを、実際に技術として実装するかどうか」などを人間が頭で考える余裕があるので、特許を出す時間はかろうじて確保できています。
でも、生成AIの進化スピードがさらに加速していくと、いずれは特許制度そのものが追いつけないようなスピード感になってしまいます。
特許制度が重要かどうかという話ではなく、制度のあり方自体を見直さないと、もはや技術を知的財産として保護すること自体が難しくなってしまうのではないか…そんなふうに、ここ1〜2年で強く感じています。
⠀企業の知財戦略
⠀企業が押さえるべきIP保護戦略と、特許紛争の予防策としてどのようなアプローチが効果的だと考えますか?
ここでのIP(知的財産)については、特許に置き換えて話すとわかりやすいと思うんですけど、特許制度が今後も機能し続けるという前提に立てば、基本的には「特許を出すこと」と「他人の特許をかわすこと」この両方を回していくのが大原則になると思います。
とはいえ、特許は「出す」にしても「かわす」にしてもお金がかかるものです。
ここで話している「企業」といっても、私がいるようなスタートアップのような人もお金のない企業と、人もお金もある大企業とでは、やり方がまったく異なってくるのが実情です。
スタートアップでは、どこを守って、どこはあえて守らないかを明確に分けて、守らない部分には目をつぶる。そして、本当に守るべきところにリソースを集中させる、という戦略を取らないと、特許の“戦場”を広げると大企業とは戦えないんですよね。そういう意味で、特許戦略上のリソースの集中のさせ仕方には、スタートアップならではのアプローチが必要なのかなと思います。
ただ一方で、「戦場をどこに設定するか」以外の部分、つまり、実際の特許の出し方等の仕事の進め方に関しては、大企業とスタートアップで大きな違いはないと思います。
つまり、方法論としては「新しいアイデアはしっかり守りましょう」「他人の特許にぶつからないようにかわしましょう」という基本は共通していて、違いが出るのは、もっと上位の戦略レベル。たとえば、2つの選択肢があったときに、どちらも拾えるのが大企業、片方しか拾えないのがスタートアップ。だからこそ、限られたリソースの中で“どちらを拾うか”の判断が、スタートアップにとっては本当に重要だと感じています。
⠀企業の知的財産保護への悩み
⠀今までにクライアントから知的財産に関するどんな悩みを聞かれましたか?
私、以前は代理人もやっていたので、その当時の経験だったり、今でもたまに「これ教えて」と聞かれることがあって、その立場からお話しできるのはスタートアップから聞かれた悩みですね。
よく聞かれるのは、「これって特許出した方がいいですか?」っていう質問です。
「特許取れますか?」っていうよりは、「お金をかけてまで出す意味って、何なんですか?」という感じの聞き方をされることが多い印象です。
質問者:やっぱりスタートアップの企業だと、まだあまり知財に関する知識がないから、そういう聞き方になるんでしょうか?
そうですね、ただ正直、知識がないのはスタートアップに限った話ではなくて。大企業でも、知財経験のない役員クラスの方とか、いわゆる“知財の素人”の方々は同じように知識がなかったりします
スタートアップとの大きな違いは、知識じゃなくて「お金があるかないか」なんです。
スタートアップは当然リソースが限られているので、「このお金を使って特許を出す意味ってあるんだっけ?」という感覚になるんですよね。
で、私はこれを保険に例えて考えるんですけど
たとえば、レンタカーを借りるときに、500円くらいで任意保険に入るじゃないですか。でも、実際に事故る人ってほとんどいない。私も事故ったことないですし、「別に入らなくても大丈夫なんじゃない?」って思うこともありますよね。
あるいは、海外旅行に行くときも、リスクは高いはずなのに、なるべく安い保険を選んだりしますよね。本当は危ないかもしれないけど、「まあ、入らなくても大丈夫かな」っていう感覚。
それと同じような感覚を、スタートアップが特許に対して持ってしまっていることがあります。
「出さなくてもなんとかなるんじゃないか」っていう雰囲気。でも、実際に何とかなってしまっている例もあるので、余計にそう思ってしまう。
逆に言えば、スタートアップの人たちが専門家に聞いてくるときって、「よく分からないけど、興味はある」という状態なんですよね。そもそも興味がなければ弁理士に相談すらしないと思います。
でも、その先の「どう行動すべきか」までは分からないから、「詳しそうな人に相談してみよう」という気持ちになる。
スタートアップが特許相談するときって、そういう感覚だと思います。
⠀IP保護戦略の最新動向
⠀現在、日本国内で注目されているIP保護戦略の最新動向について、どのような傾向が見られますか?
そうですね、ちょっと話が大きくなるのですが…
正直に言うと、ここで言う「IP保護戦略の最新動向」について、私は専門的に全部を追えているわけではありません。ただ、よく言われていることとして、「オープン・アンド・クローズ」という考え方があります。
20年くらい前までは、誰もが知っている大企業がたくさん特許を出して、自分たちの製品・技術をがっちり守るという時代がありました。
今はどうなっているかというと、大企業がスタートアップと連携するケースがかなり増えています。私がいるスタートアップでも、大企業と一緒に新規事業を進めるような機会が増えてきました。
つまり、かつて「自前主義」と言われて、「自分たちですべてやる」スタイルだった大企業が、スタートアップのような小さな会社と組んで新しいことに挑戦しようとする流れが、特にコロナ以降どんどん加速していると感じます。これはIP戦略というよりも、もっと大きな「日本全体の産業構造の変化」と言えると思います。企業とスタートアップが連携する動きは、年々加速しているように見えます。
そして、知財の世界でも同じような変化が見られます。特にコロナ前後から、そういった動きが目に見えて強まってきたという印象があります。
たとえば、特許庁では2010年代後半から「スタートアップ支援班」が立ち上がって、表彰制度を作ったり、スタートアップを支援する制度を作ったりといった取り組みが始まりました。つまり、国として「スタートアップ支援×知的財産」にベクトルが向いたのが、ちょうどコロナ直前あたりだったと思います。
そこから、スタートアップと知財をどう結びつけていくかという動きが盛り上がってきていて、その背景にはいわゆる「オープンイノベーション」があります。
つまり、大量の特許を保有する大企業と、ほとんど特許を持っていないスタートアップが手を組んで、新しい価値を生み出していこうということです。
この「オープンイノベーション」という枠組みの中で、どんなIP保護戦略が必要なのかを、みんなで模索しているというのが、ここ1〜2年のトレンドなのかなと思っています。
なので、今の傾向としては
- 大企業が、スタートアップなど他社と組むことを前提に、IP保護戦略の考え方を柔軟に変えてきていること
- 一方のスタートアップも、「大企業と組むなら知財を軽視できない」と感じ始めており、知財への関心が高まってきていること
オープンイノベーションの文脈で言うと、この2つの動きが、ちょうど今、交差しているような状態だと思います。
⠀特許取得と秘匿化
⠀敢えて特許を取得せず、技術をノウハウ化する企業も多いですが、特許を取得するかしないかはどのように判断すればいいのでしょうか?
そうですね、これは判断軸が2つあると思っていて、1つは「教科書的な判断軸」、もう1つは、ちょっと極端に言えば「趣味」みたいなものですね。
まず1つ目の教科書的な判断軸ですが、これはおそらく他の弁理士さんや専門家に聞いても、だいたい同じような答えが返ってくると思います。どういう判断かというと、「その技術が、外から見て真似されるかどうか」です。専門用語ではリバースエンジニアリングが可能かどうか、という言い方をします。
たとえば有名な話ですが、コカ・コーラのレシピって公開されていなくて、あれは「特許にせず企業秘密として管理している」という代表例です。
つまり、外から見て分からない技術は、特許よりもノウハウとして保護するべきだ、というのが教科書的な考え方になります。
そしてもう1つの判断軸、こちらが「趣味」みたいなものという話なんですが
スタートアップってお金がないので、目の前に2つアイデアがあったとして、「どっちか1つしか特許を出せない」という場面もよくあるんですね。そういうときに、「どっちを取ったらいいですか?」とよく聞かれます。
私はいつも、「取りたい方を取ってください」と答えるようにしています。
よくある質問に「この技術、特許取れますか?」というのがあるんですけど、私は「取れるかどうかより、取りたいかどうかで決めてください」と伝えるようにしています。というのも、どんなに専門家でも「取れるかどうか」は結局やってみないと分からない部分があるからです。この点は面白いなと思っていて、技術者や経営者って、売れるかどうか分からない製品を作って売ってるじゃないですか? でも、特許に関しては「取れるって保証してくれ」みたいな感覚になったりするんです。不思議ですよね。
売れるかどうか分からなくても製品を出す人たちは、「やりたいから」作って、そして売るんです。それと同じで、特許も「取りたいなら」出して、そして取ったらいい」と私は思っています。
そこからもう一歩踏み込んで、「なんで取りたいんですか?」と聞くと、その裏にいろんな事情や背景が見えてくることがあります。
たとえば、「ああ、なるほど、それならお金をかけてでも出す価値ありそうですね」と納得するケースもあれば、「それくらいの理由なら、むしろノウハウとして秘匿しておいた方がいいんじゃないですか?」となる。
最終的な判断軸はシンプルで、「その技術を守りたいかどうか」それだけだと思っています。
⠀法的課題と対策
⠀知的財産保護における法的課題とその対策について、どのような点が重要であると考えますか?
法的課題かどうかはさておき、さっきも話したように、生成AIの登場が知的財産の世界を大きく変えると感じています。
たとえば、AIが作成したイラストが金賞を受賞するというニュースがありましたが、「この著作権は誰のものなのか?AIに権利があるのか?」といった議論が出てくるようになりました。
あるいは先ほど話したように、「特許制度における“時間軸のズレ」もあります。
つまり、もともと知的財産という制度は「社会の中の一部」としてきれいに組み込まれていたはずなんですが、今は社会にうまくフィットしなくなってきているように思います。
パズルで例えるなら、知的財産というピースがブカブカになっている感じです。世の中がもっと速くて、繊細で、複雑になってきているのに、知的財産制度は今でも「大きなブロック」みたいなままで、うまくはまらなくなってきているというか。
私がよく言っているのが、「生成AIの登場によって消費時間と生産時間が逆転した」という話です。どういうことかというと、特許って「取ろう」と思ってから弁理士が申請書を作って出願するまでのプロセスにすごく時間がかかるんです。
1件あたり約20時間くらいはかかります。その時間で、1万文字ぐらいの文章を書き上げて申請します。
一方で、それを読み手(例えば、企業の知財担当者)は、仮に半分の10時間くらいで読み終えるとすると、1件書く間に2件読める計算になります。
つまり、理論的には、ある知財担当者は、ある弁理士に対して何件出しても、知財担当者は常に暇になれる構造なんですね。
ところが、生成AIが登場してからこのバランスが完全に崩れました。
AIは、5〜10分で1万文字の特許明細書を書ける。もちろん質にバラつきはありますが、出すこと自体はできる。一方で、知財担当者がそれを読むのには変わらず10時間かかる。となると、理論上は知財担当者がさばききれないほどの特許明細書が大量に生成されてしまう。
つまり、制度が崩壊してしまうんです。
今の制度は、「人間が読む」ことを前提にしたものですが、生成AIが質はともかく大量に出願を“生成”できるようになったことで、人間の読む速度がボトルネックになりつつある。このいびつな状態が起こる可能性があるんですが、それに対してどう対応すべきかは正直わかりません。
でも、おそらくこれは知的財産制度に限った話ではなくて、社会のさまざまな制度で、生成AIの登場によってバランスが崩れつつあるけれど、それがまだ「表面化していないだけ」なんじゃないかと感じています。
⠀知的財産保護の現状
⠀どのような企業や個人がまだ知的財産保護への関心や対策ができていないと考えていますか?
個人で言えば、SNSを日常的に使っている人たちが対象になると思います。
先ほどの話にもありましたが、他人の著作権を侵害してしまうケースや、生成AIを通じて、重要な情報をネットワーク上にうっかりアップしてしまうようなことが、実際に起きている。
だからこそ、利便性がある一方で、リスクもある世界に対して、しっかりと啓蒙していかないといけないと感じています。
もう少し踏み込むと、初等教育が大事だと思います。
たとえば、小学校6年生に対して全4回くらいのカリキュラムで、弁理士が学校に派遣されて「知的財産って大事だよ」と教えるような機会があると良い。
算数などの主要科目と並べる必要はないと思いますが、それでもそういった知識に触れる場は早い段階であった方がいいと感じています。
企業については、やはりスタートアップですね。
そういう意味で言えば、個人やスタートアップといった、「経験の浅い人たち」に向けた啓蒙が重要だという点では共通していると思います。
スタートアップも、関心を持たない人が多くて、そういう人たちはそもそも弁理士に相談しない。そして、相談しなければ、そのまま一生、知的財産のことを知らずに生きていけてしまうんですよね。
それって、たとえば保険も何もかけずに、危険な地域へ旅行に行けてしまうようなものなんです。 たまたま何も起こらなければ無事に帰ってこれるけど、それって「たまたま生き残っただけ」であって、再現性がない。
私は知的財産の立場から言うと、そういう状態はあまり健全じゃないと思っていて、「再現性がないこと」はビジネスとしてもよくないと考えています。
だからこそ、知識のない方々への啓蒙や発信を、できるだけ早い段階で行っていく必要があると思っています。
とはいえ、私自身もそうなんですが、専門家って、そういう“知識がない人”への教育が得意ではないんです。これは知的財産業界全体の課題だと思っています。
つまり、「知識がない人の側に問題がある」のではなくて、「知識がある人が、知識のない人にうまく教えられない」という構造的な問題がある。
例えるなら、大学の数学科の教授が小学生に算数を教えるのが得意とは限らない、みたいな状態なんですよね。
だからこそ、そこはもっと空気を変えていく必要がある。専門家側の“教育力”の課題として、知財業界でもっと向き合っていくべきなんじゃないかと感じています。
⠀国際的な知財保護
⠀国際的な知的財産保護の動向について、どのような傾向が見られますか?日本企業にとっての影響についてどう考えていますか?
前職時代(2018年頃)には、5大特許庁(日本、アメリカ、欧州、中国、韓国)以外の新興国(例えば、インドやASEAN)についても、特許の新市場として注目していました。その後、情報のキャッチアップが落ちてしまってはいるのですが、私から見えてる範囲では、5大特許庁がメインステージである点は変わっていない印象です。
冒頭で述べたように、生成AIの登場によって制度と実態の乖離が起きつつあります。この乖離は外国でも同様に起きると思います。
これまで以上に、グローバルな視点で国際的な知的財産保護を考える必要性が増していくと思いますし、それは、グローバルで勝負するスタートアップも例外ではないと思います。

【業種別】タイムスタンプ該当書類 一覧 ~「その時点で存在したこと」の証明が、企業の未来を守る
知財係争や技術流出リスクの高まりにより、企業は「いつ、誰が、どのような内容で発明したか」を第三者に示せる証拠を備えることが不可欠になっています。
つまり、これからの知財戦略には「存在証明」の仕組みこそが、基盤として必要とされています。

「その発明、証明できますか?」AI時代、技術流出・権利紛争から守る、“存在証明”という知財防衛の第一歩
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大学の知財紛争を未然に防ぐタイムスタンプ
「その文書が、いつ作成されたのかを証明できますか?」この問いは、デジタル環境が進む中でますます重要になっています。現在、企業の主要な業務はほとんどが電子化されており、文書は高速かつ繰り返し生成・共有されるようになりました。

「その研究ノート、本当に“証拠”になりますか?」〜先使用権を守るタイムスタンプの活用法〜
有名企業が実際に直面した知財に関する失敗事例を取り上げ、その背景と結果を分析し、それらの事例から導き出される教訓を通じて、「知財リテラシー」とは何か、なぜ企業にとって不可欠なのかを解説します。

社内アイデアの権利は誰のもの?従業員と知財の関係
「その文書が、いつ作成されたのかを証明できますか?」この問いは、デジタル環境が進む中でますます重要になっています。現在、企業の主要な業務はほとんどが電子化されており、文書は高速かつ繰り返し生成・共有されるようになりました。

デジタル時代の新常識:部門別タイムスタンプ運用ガイド
「その文書が、いつ作成されたのかを証明できますか?」この問いは、デジタル環境が進む中でますます重要になっています。現在、企業の主要な業務はほとんどが電子化されており、文書は高速かつ繰り返し生成・共有されるようになりました。
